その70人は「中之島組」とよばれた。
「100人の人とゴスペルを歌いました!」なんてことを、
就職活動の時に言ってましたが・・・
すみません、私、嘘をついておりました。
数えてみたら70人ちょっと。
当時のプログラムもまだ持ってた(笑)
大阪は中之島公会堂で歌ったので、「中之島組」というあだ名が付きました。
先生がその当時「God's Chiled」というゴスペルグループをやっていて、我々が歌った後にゲストでライブをされてましたが、確か、その中の誰かが「中之島組」と名付けたかと。
20年前、小学生の男の子が一人参加してましたが・・・6年生ぐらいだったので、きっともうええおっさんになってるんやろなぁ(笑)
さて、この70名、その後全員はそろいませんでしたが、歌う機会があったり、飲み会をしたり、だんだん疎遠になってしまったものの、今でもお付き合いのある方が何人かいらっしゃいます。
本当にいろんな方がいました。
サラリーマン、専業主婦、学生、ヘアメイク、自営業で梅田のど真ん中で商売をされてる方、学校の先生などなど。
私にとって大阪という土地は、大学進学が決まるまで足を踏み入れたこともなければ、親戚もいない街、そこでこれだけ多種多様?な人たちと一同に歌ったことは、大阪に家族ができたような気分でした。
そんな愉快な「中之島組」の一員でいられたことは今でも嬉しいことだと思ってますし、
たくさんの方と仲良くさせていただいていたことは就職活動でもアピールのネタにさせてもらいましたが・・・
また70人で集まってみたいな。
どんな20年をみなさん歩んできたのか?もちろんみなさんがみなさん音楽を続けてきているとは限りません。でももし20年前に歌った3曲、まだみんな覚えてるんだったら、歌ってみたいな。
「中之島公会堂」
そんなに小さな場所ではありません。
そこに70人集めて、お客さんも呼んで歌うとなると、まず中之島組70人を集めるだけでも大変です。
そうだよなぁ、私がもっと売れっ子の歌い手だったら、ラジオの企画とかで、
「あの時一緒に歌った「中之島組」大捜索!」とかできるのにね(笑)
今の私には、あの日のことを思いながら、ブログをつらつら書くことぐらいしかできませんが、
「いつか きっと」また再会出来る日が来るといいなぁ。
子生意気だった大学生だった私が、歌い続けている姿をみたらみなさんなっていってくださるかな?
先生も巻き込んで70人でまた歌う、ちょっとした私の夢です。